BL◆父の肖像
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 憂鬱な一日が過ぎた。
 帰りのホームルームが終わると、拓見は気分がすぐれないと嘘をつき、ほかの生徒たちが部活に行ってしまうのを待って帰り支度を始めた。
 校庭の方から響いてくる遠い喧騒を耳にしながら、がらんとした廊下を歩く。ほかにもまだ校舎に残っている者がいるのだろう、ときおり戸を開閉する音やかすかな足音が聞こえる。
「成島くん!」
 ふいに声をかけられて、拓見はきょろきょろとあたりを見回した。
「成島くん……だったよね?」
 廊下の中央で、足元の大きな箱と睨み合いをしているのは、代理教員の市村だった。
「ちょうどよかった。ちょっとこれ、運ぶの手伝ってもらえないかな?」
「ああ……はい」
 鞄を小脇に挟み、ひとかかえもある大きな箱に手をかける。見かけにたがわず、二人で持ちあげてもずっしりと重かった。
「助かったよ」
 市村は屈託のない笑い声を上げた。
「新しい石膏像なんだけど……一人で充分だろうと思ったら、ちょっと無理だった」
 つきあたりにある美術室まで運びこむと、市村は箱を開封して中から白い像を取り出した。背中から翼を生やした、首のない女神。
「サモトラケのニケ……」
 拓見の呟きに、市村は感心したように眉を上げた。
「そのとおり、よく知ってるね」
「あの、父が……これのもっと小さいの持ってるんで……」
「へえ。君のお父さん、絵を描く趣味でも?」
「ええと、はい。一応イラストレーターなんです」
「そりゃすごい」
 市村はあからさまに興味を示して拓見の顔を覗きこんだ。
「もしかして有名な人かな? 名前はなんて?」
「ちっとも有名なんかじゃありません。成島……昭義っていうんですけど……」
 母に生き写しの顔が、すぐ目の前にあった。黒い目が探るように見つめ、それからふいとそれた。
「うーん、残念ながら、聞いたことないみたいだ。でもお父さんの作品、こんどぜひ見せていただきたいな。……っと、ごめんごめん、話しこんじゃって。部活、遅れたんじゃないか?」
「あ、いえ、ちょっと具合悪くて、どうせ帰るところ……」
 拓見が言いおわらないうちに、市村の顔色が見るみる変わった。
「なんだって? それは悪かった、こんなこと手伝わせたりして……大丈夫か? そうだ、車で送るよ」
「いえ、けっこうです。すぐそこですから……」
「いや、送るよ。途中で倒れたりしちゃたいへんだ。ちょっと待って、これを片づけたら……」
 あたふたと周辺を整理する市村を見ながら、拓見は軽い眩暈を覚えた。
 本当に具合が悪くなりそうだった。
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まろやか連載小説 1.41