BL◆父の肖像
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− 06 −
 佐藤の家は、川沿いにある賃貸マンションの三階にあった。
 佐藤は一階に並んだポストの一つを覗くと、中の郵便物を無造作につかみとり、拓見がついてくるのを確かめてから階段をのぼりはじめた。
「ここ……」
 重そうな金属製のドアを開いて、拓見を招きいれる。
「ジュース飲む?」
 台所を通るついでに冷蔵庫を開け、返事も待たずに缶ジュースを二本取り出した。
 奥の部屋に通されると、拓見は促されてクッションの上に腰をおろしながら、物珍しい気持ちで周囲を眺めた。
 部屋は八畳ほどの広さがあったが、詰めこまれた物のせいでずいぶん窮屈な印象を受けた。本棚を挟んで並んだ二つの勉強机。二段ベッド。鴨居にハンガーでかけられたジャンパーやコート……。
「兄貴と共同の部屋なんだよ」
 拓見が問いかける前に佐藤が説明した。
「どうせ兄貴は帰るの遅いからさ。……ま、ちょっと狭いのは我慢してくれ」
 佐藤は缶ジュースを開けて一口飲んだ。拓見もそれにならった。沈黙がおりた。
 ほとんど話をしたこともない自分を、なぜ急に家に招いたのか。拓見が佐藤の心中を察しかねていると、それに気づいたように佐藤が顔を上げてにやっと笑った。
「……ホント、人は見かけによらないよな」
 拓見が当惑した顔を向けると、佐藤は続けた。
「おまえって、けっこう不良なんだな。堂々と部活サボったり……」
 少しためらって、それから言った。
「なあ……初めてのとき、どうだった?」
 何を言われているのかわからなかった。
「してるんだろ? セックス」
 ひくっ、と喉が鳴った。
 バレた? どうして? なんでわかったんだ?
 パニックと同時に、拓見は顔から血の引くような羞恥に襲われた。父親と夜ごと肌を合わせる自分。しかも自分は、男でありながら、ふつうなら考えられない場所で男を受けいれ、それによって悦びまで感じているのだ。
 佐藤の言葉で、その非常識さを改めて叩きつけられた気がした。自分は汚れている、と思った。
「――なのか?」
「……え?」
 気がつくと、佐藤が好奇心をむきだしにした、だが恥ずかしそうな目でこちらを見ていた。
「どんな相手? かわいい子なのか?」
 一気に緊張がとけ、反動で顔が赤らむのを感じた。
「え……あ……」
 しどろもどろになる拓見に、佐藤は畳みかけるようにきく。
「それともあれ? 年上の女ってヤツ?」
「それは……」
 言いかけて拓見ははっと理性を取りもどした。
「なんでそんなふうに思うんだ。僕が……してるって」
 佐藤は一瞬、ばかにしたように目を丸くした。
「だって」
 にやにやと目を細めて、拓見の首のあたりを指さす。
「それ……キスマークだろ?」
 そういうことか――と、拓見は拍子抜けする思いで襟元に手をやった。キスマークすなわちセックス、セックスすなわち女。ふつうならそう考える。まさか相手が男で、それも父親だとはだれも思わないだろう。
「なあ、相手はどんなヤツだよ」
 なおもしつこくきいてくる佐藤に、拓見は自分でも驚くほど淡々と答えていた。
「年上」
「ふーん、やっぱりな。おまえ、ちょっとボセーホンノーくすぐるタイプだもんな。向こうから誘ってきたのか?」
「……うん」
「へええ、いいなあ。……で、どうだった? ドーテーを捨てた感想は」
「さあ……」
 男の口で達しても童貞を失ったことになるのだろうかと、ぼんやり考える。
「よく覚えてない……気がついたら終わってたし」
 答えながら、父の顔を思いうかべた。体は燃えさかりながら、表情だけは静かに愛撫をくりかえす父。壊れ物でも扱うように触れてくる武骨な手。そして市村とのキスシーン。二人の裸体が絡みあうところを想像して、拓見は眉間にしわを寄せた。
「なあ」
 拓見はきいた。
「目立つかな……キスマーク」
「さあ……俺は、兄貴の見てたからわかったけど」
 佐藤は目をぱちぱちさせて言った。
「ふつうのやつは、なんの跡かわからないんじゃねーの? ……ま、心配しなくてもさ、俺、ほかのやつに言うつもりはないから」
 佐藤の目に羨望とかすかな尊敬の色まで見て、拓見は、そうじゃないんだけど、と胸の内でつぶやいた。
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まろやか連載小説 1.41