BL◆父の肖像
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 ――誤解――
 そうだったかもしれない、と拓見は、更衣室で急いで着替えながら思った。
 たしかにあのとき、父は自分から望んで口づけをしているようには見えなかった。いや、市村に無理やりされていた、というのが正しい。
 あのときは気が動転していたし、それ以前の会話から、短絡的にそう思いこんでしまったのだ。
 だがよくよく考えてみれば、あれはどうとでもとれる会話だった。拓見はキスシーンと結びつけて恋人同士だと信じてしまったが、いまの市村の話と考えあわせれば、友人同士の会話としてもおかしくない。
 ひょっとしたら自分は、父に申し訳ないことをしてしまったのかもしれない。そう思うと胃のあたりが締めつけられるような気がしたが、すぐに拓見は首を振って否定した。
 彼らはまだ何かを隠している。それが明らかにされないかぎり、ただの誤解だったと一概に決めつけることはできない……。
 わからないことはたくさんあった。というより、わかっていることはどれも断片にすぎず、それらを並べてみても全体像はまったくつかめなかった。
 わかっていること――市村と父はかつて友人の関係にあり、市村はそれ以上の気持ちで父のことを想っていた。彼らは絶交し、父と母が結婚して拓見が生まれた。母が死ぬと、父は拓見を抱いた。
 それだけだ。逆にわからないことは山のようにあった。
 市村と母の容貌が似ているのは、おそらく血縁関係によるものだと思われるが、市村は母について触れるのを避けている。
 いっぽう成島家では、母は天涯孤独なのだということになっていた。だが、市村と母に血のつながりがあるのなら、それは嘘だったということになる。
 ではなぜ、そんな嘘をつく必要があったのか。
 また父は父で、過去に大喧嘩をしたせいで親兄弟とは会えないのだと説明している。その喧嘩とはどんなものだったのか。それは市村や母に関係しているのか。
 父と母は互いをどう思っていたのか。二人の間に、冷たくはないが空々しい空気が漂っていたのはなぜか。
 それから、市村と父の間柄のこともある。それは市村が言っていたように、市村の一方的な思い込みだったのか。もし父が、市村の主張するようにふつうの男性なら、父が拓見を抱いたのはなぜか。実際には父は同性愛者で、ほかの理由があって市村の気持ちを退けたのか。それとも市村の話が嘘で、二人はやはり恋人同士だったのか。
 そして市村と父が、必死になって隠そうとしているのはなんなのか……。
 考えれば考えるほど迷路にはまりこんで、出口からどんどん遠ざかっていくような気がした。
 拓見は湧きあがる疑問をひとまず胸におさめ、ずいぶん遅刻してしまった部活動へと急いだ。
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まろやか連載小説 1.41