BL◆父の肖像
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 川野屋はなかなか見つからなかった。
 拓見がそのへんの地理に疎かったせいもあるが、人にきいてようやく尋ねあてたそこは、老舗という言葉から拓見が想像していたのとはだいぶ違い、看板も目立たないようなちっぽけな店だった。
「いらっしゃい――」
 店番をしていた女の声が、吸いこまれるようにとぎれた。その目が自分を凝視しているのに気づいて、拓見は彼女が市村の妻なのだろうと見当をつけた。
 店内は狭く、品数も少なかった。女の子が見たら喜びそうな色とりどりの飴玉が、皿や盆に盛られて剥き出しのショーケースに並べられている。拓見は袋詰めされたものを適当に選び、レジに持っていった。
「ここ……市村先生のお宅ですよね」
 代金を払いながら言うと、女は不思議そうな顔をして「ええ」とうなずいた。
「あの、僕、先生に美術を教えてもらっていて……」
 女の顔からようやく不審の色が消えた。
「まあ、学校の生徒さん? こちらこそ、主人がいつもお世話になって」
 それでも彼女の目は拓見の顔から離れなかった。拓見はそわそわと体を動かし、無理に微笑を浮かべてきいた。
「あの……やっぱり似てますか?」
「えっ? ええ」
 女ははじかれたように答えた。
「さっき入ってこられるのを見て、びっくりしたわ。主人が若返ってきたのかと思っちゃった」
「学校でもよく言われます。僕も初めて会ったとき、驚きました」
 そう言いながらなにげなく視線を走らせると、レジの陰になった彼女の腹部が、異様に膨らんでいるのが目に入った。
 拓見の視線に気づいたのだろう、女はいとおしげに腹部に手をあてて言った。
「赤ちゃんよ……もうすぐ生まれるの」
 その幸せそうな様子を見て、拓見の気持ちはぐらついた。
 わざわざここまで来たのは、家族から市村の過去を聞き出せないかと考えたからだ。そしてもう一つ、家族にあることないことを吹きこんで、市村家をかきまわしてやろうという目論見もあった。
 だが結局、拓見はどちらもしなかった。自分にはそこまでする権利はないと思った。少なくとも、無関係な母子の未来を踏みにじるようなまねはできない。
 拓見は市村の妻に、自分の母を重ねて見ていた。
「元気な赤ちゃんだといいですね」
 それだけ言うと、拓見は珍しくしんみりした気分で帰途についた。
 そのあとは、いつものように翌日の準備をし、須藤のアパートへ行った。買った飴玉はイッコにやった。
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まろやか連載小説 1.41