BL◆父の肖像
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 三人は場所を居間に移した。
 冷房のきいた部屋で、拓見は自分たちのためにコーヒーをいれた。
 だれもが無言だった。
 市村は狼狽し、しかも怒っているように見えた。むっつりとカップの中に視線を落とし、ときどき口元をひきつらせては荒い息を吐いた。
 昭義のほうは平然としたものだった。開きなおっているというより、その態度には余裕すら感じられ、拓見はそれを不思議に思った。
「どうして……」
 とうとう市村が口を開いた。
「どうしてあんなことをした」
 昭義に向けられた言葉だった。
「おまえには、父親だという自覚がないのか。これは児童虐待だぞ。それとも……そのつもりでやったのか? この子が憎くて? いや――」
 市村はゆるゆると首を振った。
「そんなこと、僕に言えた義理じゃないか……」
 昭義が何か言う前に、拓見が口を挟んだ。
「先生は、どうして母さんとそういうことに?」
「……やけになってた」
 市村は呻くように言った。
「あいつが……美也子が僕のことをどう思っているかは、よく知っていた。あいつが自分でそう言って、僕に何度も迫ってきたからだ」
 拓見の中で、母の偶像がまた一つ壊れた。だが彼は、いまではそれを、たいした痛みとも感じなくなっていた。
「成島……昭義に振られた日も、あいつは僕の部屋にやってきた。いつもなら適当にごまかして追い出しているところだった。だがあのとき、僕は急に昭義の言葉を思い出したんだ。『俺が好きなのは美也子だ。勘違いするな』……僕は思った。美也子を……昭義の愛している美也子を僕が犯したら、彼はどんな顔をするだろうとね。僕の気持ちが拒絶された代わりに、彼の大事なものを奪ってやろうと思った。それに……ひょっとしたら、彼の気持ちがこちらに向いてくれるんじゃないかとも……」
 市村は顔を上げ、糾弾するように昭義の顔を見つめた。
「だけどおまえは、何もかもひっかぶって、美也子といっしょに消えた。それで丸くおさまると思ったんだろう? だけどな――」
 呼吸困難でも起こしたように、市村は激しく息を吸いこんだ。
「僕の気はおさまらなかった。だから僕は、うちの親に全部話したんだ。美也子が二度と家に戻れないように。親がおまえの顔を見られないように。何もかも――僕も含めてすべて――めちゃくちゃになればいいと思った」
 市村の懺悔は終わった。
 拓見はいまの話を噛みしめ、反芻し、じょじょに呑みこんでいった。
 そう、つまりはそういうことだったのだ。拓見は実の兄妹の間にできた子供だった。二人が拓見に知らせまいとしたのは、そのことだった。拓見の受けるショックを考えて、それから、自分たちの過ちを恥じる気持ちもあっただろう。そんなことが公になれば当然、市村だけでなく、拓見までもが世間の批判の目にさらされる。
 だがそれよりも、その子供の父親として、十五年も過ごしてきた昭義の心中は――。
「市村」
 ふいに昭義が言った。
「美也子と寝たのは、何月のことだった?」
 市村はぽかんとした表情をした。
「え……あれは……たしか夏だった……」
「そう、夏だ。七月の初めだった」
 昭義はこんどは拓見の方を向いた。
「拓見、おまえの誕生日は?」
「……七月三日」
 しばらくはなんのことかわからなかった。それから市村が、あ、と小さな声を上げた。
「そういうことだ」
 昭義は満足そうにうなずいた。
「妊娠期間は十月十日、それも一月二十八日としてだから、実際には九か月ぐらいの計算になる。……拓見は、あのときの子供ではないんだ」
 拓見はぼんやりと昭義の顔を見ていた。市村はあからさまに呆然としていた。
「あの子は、あれからじきに流産してしまったんだよ。いろいろなストレスが重なったせいだと思う。かわいそうだったが。……拓見は、そのあと俺と美也子との間にできた子供だ」
 手品でも見せられたような気持ちだった。拓見が問いかけるように昭義を見ると、昭義は淡い微笑を返した。
 市村は両手で顔を覆って呻き声を上げた。
「じゃあ、あの子は……」
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まろやか連載小説 1.41