BL◆父の肖像
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− 08 −
 ――おまえが好きだ――
「俺はどうかしていたんだと思う」
 昭義は言い、それから目を閉じて首を横に振った。
「いや、そうじゃない。俺は充分正気だった。怒ったふりをして、心の底では計算していたんだ……」
 昭義は市村を罵倒し、絶交を言いわたした。だがそれは、市村に対する嫌悪からというより、美也子の気持ちを得られないことに対する腹いせからしたことだった。
「そして俺は、激情に任せて……そういうふりをして……美也子を自分のものにした」
 拓見は黙って父の顔を見つめ、いまの言葉の意味を冷静に吟味してみた。昭義の顔は硬くこわばり、その口は、強い意志を表すようにきつく結ばれていた。
「すべてが崩れさった」
 昭義はふたたび話しはじめた。
 美也子の妊娠が発覚したのは、それからまもなくのことだった。昭義は自分が子供の父親だと名乗り出て、美也子の母からは罵声を、父からは拳を浴びせられた。美也子はなんの釈明もしなかった。昭義は大学を中退し、美也子を連れて出奔した。
「そうして俺は、美也子を手に入れた」
 昭義は締めくくるように言った。
「あとは……おまえも知っているとおりだ」
「母さんが死んだとき、母さんの家の人には連絡しなかったの?」
 拓見が率直な疑問を口にすると、昭義はなんでもないことのように答えた。
「電話した。するとお袋さんにこう言われた。美也子は十五年前に死にました、とね」
 拓見は目頭が熱くなるのを感じた。それは母のためではなく、父のための涙だった。拓見は手を伸ばし、昭義の手をぎゅっと握りしめた。
「それで……」
 唾を飲みこんで言った。
「僕を抱いたのは?」
 昭義はゆっくり拓見の手を握りかえした。
「わからない」
 彼は乾いた声で言った。
「あのときこそ、俺はどうかしていた」
 そのときのことを思いうかべるように、彼は天井を向いて遠い目をした。ややあって口を開いた。
「たぶん……おまえを失いたくなかったんだ」
 拓見の手を握る彼の手に、ぐっと力がこもった。
「美也子がいなくなって、おまえまでどこかへ行ってしまうような気がした。矛盾しているようだが……あんなことをすれば嫌われるのはわかっていたのに……おまえをつなぎとめておくには、そうするしかないと思えたんだ。あのころ俺は、おまえとはずっと疎遠だった。美也子とおまえの間に、俺の割りこむ隙はなかった。俺は……おまえとの間に、どうにかして、何かのつながりを作っておきたかったんだと思う」
 拓見はちらりと枕元の時計を見た。自分の部屋に戻るべきか、ここにとどまるべきかと迷ったが、結局とどまるほうを選んだ。
「……父さん」
 拓見は昭義の腕を引きよせて言った。
「ごめんね……」
 不思議そうに自分の方を見る昭義の体にしがみつき、拓見はなおも言いつづけた。
「ごめんね……ごめん……ごめんなさい……」
 唇を合わせると、こんどはすぐに反応があった。拓見は開いた昭義の唇の間に舌を滑りこませ、中で待っていた舌先をおずおずとつついた。舌を絡め、乳児が母乳を求めるように吸いつくと、なめらかな肉塊が太腿のあたりを圧迫してくるのを感じた。
 二度目は一度目よりずっと穏やかだった。二人は互いの体に触れ、その温もりを感じるだけでほとんど満足していた。昭義の指で静かに追いあげられながら、拓見はその時が来るのを待った。息を詰めて。
 しゃっくりのような奇妙な声が聞こえたのは、まさにそのときだった。
 昭義ははじかれたように振りかえった。拓見も見た。
「な……にを、してる……」
 蒼白な顔の市村が、寝室のドアに寄りかかるようにして立っていた。
「何をしてる……な、成島アァァァ……!」
 つぎの瞬間、市村は恐ろしい形相で昭義につかみかかってきた。昭義を拓見の上から引きはがし、両肩をつかんでがくがくと揺さぶりながら叫んだ。
「何を……おまえ……この子に何をするんだ……この子は……この子は……」
 拓見はつぎの言葉を聞くためにじっとしていた。
「……僕の息子だぞ……!」
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まろやか連載小説 1.41