BL◆MAN-MADE ORGANISM
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第1章/人に造られし者
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     * * *


 アータル王立大学は、構内だけで一つの街を形成していた。
 ハイ・ルネッサンスの影響を強く受けた、古代の宮殿を思わせる校舎群が中心部に聳え立ち、そこから放射状に延びた遊歩道沿いに、寄宿舎をはじめ飲食店、衣料品店、雑貨店、理髪店、遊技場などが立ち並んでいる。役所の出張所や、外来者のための宿、何の宗教のものともわからない聖堂までそろっている。
 セルゲイ・グローモワは、白髪の豊かなかくしゃくとした老人だった。
「プラット博士の紹介だって?」
 頭蓋を直撃するような大声に、ライナーがびくりと身をすくませたほどだ。
「奴は今、どこにいるって?」
「エインセルのアーヴァンク大学です」
「そうか、まだ奴を雇ってくれるところがあったとみえる!」
 教授の乾いた笑い声がやまないうちに、研究室の出入口が開いて、数人の学生が私語を交わしながら入ってきた。
「おお、諸君! 編入生だ! ライナー・M・H……えーと」
「フォルツです。ライナー・フォルツ」
 学生たちと儀礼的に自己紹介をしあったあと、教授に連れられて実験室の方へ向かう。
「君も聞いていると思うが、ここのところ妙な事故が相次いでおる。まあ物騒といえば物騒、だがここの退屈な暮らしに振りかけられた少々のスパイスと思えば、それもまた一興。せいぜい気をつけて、かりそめの平和を堪能してくれたまえ……待て、ここだ」
 戸が開いたとたん青灰色の目とかちあい、ライナーは怯んで立ちすくんだ。
 死体ばかり見させられた同じ顔の男が、生きてこちらを見つめていた。
「ライナーくん。これはわしの孫でこの大学の助手をしておる、ミハイル・グローモワだ。ミハイル、こちらはきのう到着したばかりの編入生で、ライナー――」
「フォルツです」
 教授がまたもや名前を思い出せないようだったので、ライナーはあとを引きとって言った。
「ミハイル、彼の専門は遺伝子工学だ。おまえのグループに入ることになる。詳しい説明をしてやってくれ」
 専門も何も、数日前までライナーは遺伝子工学のいの字も知らなかった。だが貨物船で運ばれる間に、特殊記憶プログラムで、学生として恥ずかしくない程度には知識を叩きこんである。よほどのことがない限りぼろが出る心配はない。
 ライナーは余裕を見せて微笑んだ。
 ミハイルは笑わなかった。
 教授が出ていって二人だけ取り残されると、気まずい沈黙が実験室を支配した。ライナーは気を奮い立たせようと室内を見回した。
 三方の壁を覆う背の高い戸棚。中には薬品容器や小型の計測機器がぎっしり詰まっている。中央に寄せて組み合わされた三つのテーブルのうち二つには、使い方のわからない大型の装置が四機ばかり据えつけられ、残る一つのテーブルは作業台としてあけられている。物の置かれていないそのテーブルは部屋の奥にあり、その横手には簡単な洗浄設備が取りつけられている。そこから少し手前、ミハイルのすぐ後ろには、冷凍庫か何かと思われる大きな金属の箱が二つ。
 その上に置かれた小さな水槽にライナーの目が移動したとき、唐突にミハイルが向きを変え、水槽の中を見ながらライナーを招くような素振りをみせた。
「何だかわかるか?」
 ライナーは恐る恐る近づいてのぞきこんだ。
「……亀だ。でも、本物ですか? 初めて見た……」
 浅く水の張られた水槽の中には、手のひらの四分の一にも満たない小さな緑色の亀が、七、八匹重なるようにしてひしめいていた。上と下とに挟まれて身動きのできなくなった一匹が、おもちゃのような手足を緩慢に動かしてもがいている。
 亀は地球固有の種だった。そして自然保護惑星に指定された地球からは、蟻一匹ですら持ち出すことは禁じられている。ライナーも立体図鑑でしか見たことがなかった。
「何を本物といえばいいかわからないが……」
 ライナーの顔のすぐ脇で、ミハイルは金色の睫毛に縁取られた目を心持ち伏せた。
「これは地球から個体を持ち出したものでもなければ、人工授精やクローニングによって発生させたものでもない。この実験室で、一から創り出されたものだ」
 ミハイルの吐息で水槽のガラスが曇った。
 まだ若い顔。助手という肩書きはあるが、年齢はほとんど学生たちと変わらないのだろう。映像では仮面のように見えたが、実物を見ればそうでもないことがわかる。肌を覆う微細な産毛、発声にしたがって流れるように動く顔の筋肉、かすかに揺れる眼球……どこをとっても、確かな生命の証がある。
「最初にあったのは、遺伝子の完全な解析データ一式だけだ」
 ミハイルは続けた。
「それをもとにアミノ酸を配列し、DNAを増殖し、染色体を組み立て……そうしてできたのがこの亀たちだ。もちろん、最初のデータの丸写しではクローンと何ら変わらない。そこで発生の途中でさらに遺伝子に手を加えた。そのうちのいくつかが成功し、今では自然交配も可能になっている」
「それは……」
 ライナーはくらくらする頭を手で押さえ、目の前でうごめく小さな生き物たちを見つめた。
「じゃあ、これらは、ただの分子から生まれたんですか? それなのに、モデルになった生き物と変わらないって?」
「驚くほどのことでもない。この理論はもう何世紀も前から実用化されている。オリジナルと寸分違わずというわけにはいかなかったが、生命のない蛋白質ならごく初期に開発され、食料問題の解決に一役買った。生殖可能な段階まで成功したのは、ここで行なわれた爬虫類が最高だが、一代限りの擬似生命体ならすでにいくつも生み出されている。そう、たとえば最近の、セクシャル・パートナーとして開発されたアンドロイドだ。彼らはもはや無機質の機械ではない。人工子宮の中で発生し、代謝する細胞を持ち、やがては老いて死んでいく。たとえその思考のほとんどが前もってプログラミングされたものだとしても、これはすでに一つの生命だ。そう思わないか?」
 話を振られてライナーはひどく狼狽した。
 だがミハイルは、特に答えを期待していたわけでもないらしく、すぐに再び口を開いた。
「私はときどき考える。生命とは何か。生命はどこから来て、どこへ行くのか――と」
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