BL◆MAN-MADE ORGANISM
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第3章/運命の手のひら
− 04 −
 その小型艇に二人が駆けつけたとき、ライナーはまさにタラップに足をかけようとしているところだった。
「ライナー……ッ!」
 ミハイルの呼び声は確かにライナーの耳まで届いた。だがライナーは聞こえなかったふりをしてタラップをのぼり、先に乗り込んでいたショウ・リーがドアの開閉ボタンに手を伸ばした。
 ぎりぎりのところで、ミハイルはドアの隙間に体を割り込ませた。異物を感知してドアがふたたび開くと、ようやくライナーは向きを変えてミハイルに対峙した。
「――行ってしまうのか」
 ライナーを見つめ、傍らのショウに目をやり、もう一度ライナーに視線を戻したミハイルの第一声は、それだった。
 ライナーは黙ってうなずいた。
「とめても無駄なんだな」
 ミハイルの声には悲痛な響きがあった。ライナーは身震いし、勇気を奮い起こすように顔を上げた。
「これ以上、あんたと一緒には行けない」
「私が君に命令しても?」
 ライナーはゆるゆると首を横に振った。
「あんたは俺の主人じゃない。俺に強制することはできない」
「私のことを、少しは気に入ってくれていると思っていた」
「たいしたうぬぼれだな」
 残酷な言葉は、思ったより簡単に口から滑り出した。
「俺はあんたに無理やり引きとめられた。俺には一人で帰る手段がなかった。だから残った。それだけだ」
 ミハイルはかすかに顔を歪ませた。いつもは無表情な青灰色の目が苦渋に揺れた。ライナーは出ていくように身振りで示した。
「……私にとって」
 向きを変えながらミハイルは静かに言った。
「君はただ一人の、友人と呼べる相手だ」
「俺は人間じゃない」
「私は君のことが好きだ」
「出ていけ!」
 ライナーは叫び、開閉ボタンを力任せに叩いた。
 ミハイルの背中がドアの向こうに消える瞬間、ライナーは幻を見た。
 どこまでも続く荒れはてた大地だった。足元には累々たる死体。彼は、前を行く血まみれの背中だけを見つめて、歩を進めている。忌々しいほど光り輝く太陽。その光を受けて、背中の上の頭部を包む白金の髪が、ほとんど無色に透けて見える。規則正しい背中の揺れが不意に乱れた。大きく傾いだかと思うと、そのまま前のめりに倒れ、動かなくなった。彼はその場に膝をついた。深い孤独と絶望が彼の心臓をつかんだ。だがその間にも、彼の耳は近づく追手の足音を捉え――。
 つかまれた腕を振り払うと、驚いた顔のショウと目が合った。
「どうしたんだ。大丈夫か?」
 ライナーは閉じたドアの前で膝をついていた。視界がセピア色と化し、耳の奥で風がごうごうと唸っている。
「――大丈夫、すぐに治る。たぶん後遺症のようなものだ。少し前、事故があって……」
「あんたが何をされたか、知ってる」
 ショウは怒りを含んだ声で言った。
「今さらあんなことしやがって。おもちゃにしたいんなら、いっそ最初からそういう扱いをしてくれればいいんだ」
 組織の工作員として育てられるセクサロイドには、通常、官能細胞の植え付けは行われない。過剰な性欲が、理性を必要とする〈仕事〉の妨げになるという理由からだ。加えて彼らは、違和感なく人間社会に溶け込めるよう、常に人間と同等に扱われ、対等の人間としてふるまうことを求められる。
「一時間後に、本船とランデブーの予定」
 大気圏を抜け、自動操縦に切り替えると、ショウはライナーの休んでいる仮眠室に戻ってきた。ライナーは寝台の上で目を閉じていたが、ドアの開閉する音を聞くと目蓋を開いた。
「気分はどう?」
「もう何ともない」
「……官能細胞は、苦しいの?」
「いや――どっちかといえば、すごく気持ちいい部類に入ると思う」
 ライナーの正直な感想に、ショウはくすりと笑い、寝台の端に腰かけた。
「あんたってバカなの? それともほんとに強いの?」
 長々と伸びた男の肢体を眺め、飴色の髪に指を滑り込ませる。
「感情なんて、仕事の邪魔だとばかり思ってたのに。……あの男がいる間じゅう、ずっとむかむかしてた」
 ライナーは問いかけるように彼女の青い目を見つめた。
「あたしはあの男に嫉妬していたんだ」
 ショウは、ライナーの頭を両手で抱えてその目を見つめ返した。次に喉から這い出た声は、欲望にかすれ、震えていた。
「まさかこんなふうに、任務を遂行することになろうとはね」
 彼女はゆっくり顔を下ろした。
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