戦闘をくりかえすうちに、ライナー・ミハイル‐Hは、自分の中の境界がしだいに曖昧になっていくのを感じていた。
今指示を出したのは、本当にミハイル‐Hなのか。今銃を撃ったのは、本当にライナーなのか。
考えるのと同時に体が動き、その流れに不連続性は感じられない。
敵を発見し、銃を構え、撃つ。走る、しゃがむ、跳ぶ。
これまでどうしても遅れがちだった動作が、今や思考とぴったり一致し、体がいくぶん軽くなったようだ。
《彼は》《自分は》と、いちいち区別しなければ認識できなかった事柄が、すべて一元的に捉えられるようになる。ミハイルシリーズの仲間とともに戦っていたのは、五十数年前の自分であり、ミハイル・グローモワを暗殺しようとしていたのは、二年前の自分だった。
そこには何の矛盾もない。
自分の中の欠けていた部分が補完され、あるべきものがあるべきところに、きちんと収まる。
ライナーは、ライナー・フォルツとして生を享けて初めて、自分の存在を確かなものとして感じることができた。
唐突に、自分がミハイルのことを思う気持ちには、意味などないことを悟る。
主人よりミハイルのほうが気にかかるのは、異常なことでもなんでもない。ミハイルと自分は誰よりも馬が合う、ただそれだけのことだ。気が合うから心地よい。心地よいからいっしょにいたいと思う。
理由や意味は重要ではない。今、自分が彼をかけがえのないものだと感じる、その気持ちだけが重要なのだ。
「ミハイル」
並んで走りながら、ライナーはミハイルに呼びかけた。
「これが終わったら、ぐっすり眠ろう。眠って目が覚めたら、気を失うまで抱きあおう」
ミハイルは、半分呆れたような笑い声を返してきた。