自分の身に何が起こったのか、詳しくは説明されなかった。
官能細胞の暴走と、侵食、そして再構成。モデル人格の記憶の一時的な再現。
だが、目覚めたばかりのライナーには、それまでの記憶はまったくなく、ただ、かつてなかったほど意識が冴え冴えとしているのを感じただけだった。
夜、一人になってから、彼は自分の中のもう一人の存在に気づいた。
最後の強化人間として生きた過酷な一生の記憶。ふいに湧きあがった悲しみと怒り。
ライナーとミハイル‐Hの記憶は、どちらもつい先ほどの出来事として感じられたため、その時間の流れを理解し、自分たちの状況を把握するまで、二人はしばらく恐慌状態に陥った。
二人――実際にはすべての経過時間に矛盾はないのだが、自己や環境に対する認識が異なり、意識の上では時間の流れが重なっているため、どうしても一人の《自分》として捉えることができない。
だが、どちらも順応性に富み、とくにミハイル‐Hは理性的に物事を割り切ることができたので、二人の混乱はじきにおさまり、朝が来る前には、どうにか折り合っていけるようになっていた。
ひととおりの検査が済み、デイルやほかの研究者たちが納得して疑わなくなるまで、ミハイル‐Hはライナーの陰でじっと息をひそめていた。陵辱によって追いつめられたときには、デイルに強化人間の秘密を打ち明けて動揺させようとも考えたが、今となっては彼女に何も言うつもりはなかった。
ライナーとミハイル‐Hの共生関係において、最も解決困難だと思われたのは、感情面の問題――とくに、ミハイル・グローモワの処遇についての問題だった。
ミハイル‐Hにとって、彼は本来被害者側のクローンとはいえ、滅ぼすべき強化人間の一人であり、何より自分の計画の直接的な障害だった。計画実行の第一歩として、彼を抹殺するのが順当だと考えるミハイル‐Hに対し、ライナーは、情と人道の見地から彼の助命を主張した。
結局、事を起こす前に、ミハイル自身に選ばせるということで妥結したのだった。