軍の医療センターの広い廊下を、ウォン・シェイは落ち着いた足どりで歩いていた。
厳重に警備された隔離病棟。立ちふさがる何枚目かの扉に通行許可証のカードをさしこみ、開いた先の通路へと足を踏みだす。
目指す病室はすぐに見つかった。透明な強化樹脂の扉の向こうに、黒髪の女の細い背中が見える。彼女の前の寝台には、大がかりな生命維持装置に囲まれて、まだ若い男が力なく横たわっていた。
「……デイル」
ウォンが入っていっても、デイルは振り向かなかった。
数か月前に見かけたときよりも、ずいぶんやせたように見える。思わずウォンがその肩に手を伸ばすと、冷ややかな制止の声が飛んだ。
「触らないで」
ウォンはかまわず、彼女の肩に触れ、腕をつかんだ。ほとんど骨の感触しかなかった。
「ずっと食べていないと聞いた」
「あなたには関係ないでしょう?」
「食べなければ死ぬ」
「どうせ死なせてはもらえないわ。死ぬ前に、栄養剤を投与されておしまい」
「それなら、なぜそんな無駄なことをする」
「無駄なこと?」
デイルはわずかに首を傾けてウォンの方を見た。
「あなたはしょせん、ただのM・M・Oなんだわ。あなたには、人間の気持ちなんてわからないのよ」
「あなたもM・M・Oだ」
「私は違う」
デイルは断言した。
「体はM・M・Oでも、私の心は人間のものよ。私は、誇りある強化人間のデイル・ホークス。それ以外の何者でもないわ」
生まれてからずっと、強化人間だと信じこまされて生きてきたデイルは、自分が本当はM・M・Oだという事実を目の前につきつけられても、それを受け入れようとしなかった。
強化人間たちは巧妙だった。彼女の主人はカート・ボイドだったが、彼らは、カートとデイルが婚約者同士だという設定をつくることによって、彼女に疑心を起こさせないようにしたのだ。
カートが不治の病に倒れると、デイルは寝食を忘れて彼につきそった。
数日前から、カートは昏睡状態に陥っている。
「彼のことを愛しているのよ。私たちにはもう時間が残されていない。最後の一瞬までいっしょにいたいと思って、何が悪いの?」
ウォンはそれには答えず、代わりにこう言った。
「あなたは最低な主人だった。あなたは私を憎み、私もあなたを憎んだ。……だが、あなたと離れて初めて、私は、あなたを本当には憎んでいなかったことを知った」
デイルは無表情にウォンの顔を見つめた。ウォンは続けた。
「皮肉な話だ。私は、主人としてはあなたをどうしても愛することができなかった。だが、一人の人間としては、確かにあなたのことを愛していたのだ。たぶん、今も」
長い沈黙ののちに、デイルは目をそらし、向こうを向いて吐き捨てるように言った。
「最新型のM・M・Oは、みんな欠陥品だわ。……あいにくだけど、私が愛するのはカートただ一人。あなたのことなんか、虫けら程度にしか思っていないわ」
ウォンは顔色を変えなかった。
「あなたの愛情を期待しているわけではない。私はあなたのことを心配しているだけだ」
「M・M・Oになんか、同情されたくないわね」
デイルは背筋を伸ばし、ウォンに背を向けたまま昂然と顔を上げた。
「心配なんか、おかどちがいよ。何があろうと、私は負けたりしない。M・M・Oなんて大嫌いよ。さあ、さっさと出ていって。カートと私を二人だけにしてちょうだい」
ウォンはうっすらと笑みを浮かべた。それから黙って病室をあとにした。
来た道を逆にたどり、夕陽に照らされた屋外に出る。
そこでは、ウォンの今の主人とその友人が、談笑しながら彼を待っていた。
ウォンは知らず知らず顔を輝かせ、二人に向かって足を速めた。
【完】