BL◆MAN-MADE ORGANISM
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第5章/いくつもの未来
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     * * *


 ライナーとの面会は、まるで鏡に映った虚像のように、前回とまったく逆の、しかし酷似した光景で始まった。
 ライナーは驚いたように目を見開き、ふっと表情を曇らせて、かすれた声で言った。
「ミハイル――」
 一段落したと思われていた官能細胞の暴走がふたたび始まり、ようやく安定したときには、従来のライナー・フォルツ自身の記憶が蘇っていたのだと説明された。代わりにこんどは、ミハイル‐Hの記憶が失われている。
 だからこれは、ミハイル・グローモワとライナーにとって、事実上初めての再会だった。
「どうして、あんたがここに……」
 ライナーは、どうしていいかわからないというように顔を歪ませた。
「君を追ってきた」
 こんどこそミハイルは正直に答えることができた。
「君に会って、できれば私たちの関係を修復したいと思って」
 寝台に腰かけたまま、ライナーは長いこと口を開かなかった。
 病み上がりのせいか、前に会ったときよりいくぶんやつれたように見える。だが、戸惑いを浮かべた頼りない表情は、間違いなくライナー・フォルツのもので、そう認識すると、ミハイルの心は徐々に喜びに満たされていった。
「俺は、組織の駒としてしか生きられない」
 ややあって、ライナーは静かに言った。
「あんたと同じ世界に住むことはできない。だから戻ってきたのに」
「私は君に会いたかった。そして私は、そうしようと思えば、君と同じ世界に住むことができる」
 ミハイルはそれだけ言うと、口をつぐんでライナーの反応を待った。
 ライナーは視線を落とし、両手で顔を覆った。ミハイルは一瞬、彼が泣いているのかと思ったが、そうではなかった。ライナーは指の間から、ぎらつく目でミハイルを睨んだ。
「忌々しいやつ」
 低い声で吐き捨てる。
「あんたはどうして、こういつもいつも俺を掻き乱すんだ。あんたの暗殺指令をもらったのがケチのつきはじめだった。あれ以来、俺のペースは狂わされっぱなしだ。あんたがいると、まともに物も考えられない」
 恨み言は、だが異なる感情の裏返しだった。
「俺もあんたに会いたかったさ。会いたくてしかたがなかった。だけど、どうしてだ? 主人でもないあんたのことが、どうしてこんなに気になるんだ?」
「それはおまえが、M・M・Oとしては不完全な精神構造をしているからだ」
 突然第三者の声が響き、二人は驚いて振り返った。
 閉ざされていたドアが開き、一人の壮年の男が入ってくるところだった。
「少佐!」
 相手を認めて、ライナーが声を上げた。
「はじめまして、ミハイル・グローモワ博士」
 男は、深いしわの刻まれた厳しい顔をミハイルに向けた。
「ライナーの養父であり、直属の上官でもある、ヘルムート・フォルツだ。私はまた、M・M・Oとしての彼の主人でもある……主人といっても、かたちばかりのものだが」
「――はじめまして、フォルツ少佐」
 ミハイルは用心深く挨拶を返した。
 この人物の来訪の意図がわからない。それに、かたちばかりの主人とは、ずいぶん意味深長な言葉だ。
「グローモワ博士。ライナーのことでいろいろご迷惑をかけたようだが、許していただきたい。そして、彼の面倒を見ていただいてありがとう。ひとこと礼を言っておきたかった」
 ミハイルはいささか面食らい、何か言おうと口を開きかけたが、その前にヘルムートが言葉を続けた。
「ライナーは人間ではないが、私の大事な息子であることに変わりはない。親として、君の存在に感謝している。君は彼に新しい可能性を与えてくれた」
 ヘルムートの言葉は、ライナー本人にも大きな当惑を与えたようだった。ライナーは養父を見つめ、何か抗議しようとでもいうように首を緩く振った。
「まあ、私の話を聞け」
 ヘルムートはなにげない手振りでライナーを制すると、ミハイルに腰を下ろすよう勧め、自分は窓に背を向けてもたれかかった。
「ご存じのとおり、M・M・Oは、主人との絆によって精神の安定を得るようプログラミングされている。だがライナーは、生来の資質によるものか、育った環境によるものか、そのシステムの働きが極端に乏しい。裏を返せば、極めて人間に近い情緒を持っているということになるが、M・M・Oとしては致命的ともいえる欠陥だった」
 沈黙する二人の顔を見比べながら、ヘルムートは語りつづけた。
「つねにかすかな不安を抱えている。肝心のときに自信が持てない。彼にとって私の存在は、父親や上官としては大きな影響力を持つが、主人としてはほとんど意味がないのだ。彼は、M・M・Oとしては不完全であり、例外であり、未知数であり……ゆえに研究者たちの注目を浴び、しばしば非人道的な実験の対象となってきた――だが」
 ヘルムートはいっとき言葉を切り、ミハイルの顔を慈愛に満ちた表情で見つめた。
「君と会って、ライナーは変わった。表面的には、著しく情緒不安定になり、集中力を欠き、優柔不断に拍車がかかった。いうまでもなく、M・M・Oの理想像からはかけはなれている。だが、人としては……自ら物を考え、自分の行動を決定する生き物としては、成熟への階段を驚くべきスピードで上りつつあるのだ。彼は今では、主人という精神安定剤がなくても生きていける。君との絆が、彼をもっと根本的なところで安定させたのだ」
「私との絆……?」
「君とライナーの間に、実際どんな感情が流れているのかはわからない。だがライナーは、君を通じて、初めて自己のあり方を疑い、迷い、再確認した。君が、今後も彼の道しるべとなってくれることを願う」
 言いたいことをすべて言い終えたのか、ヘルムートはすっきりした顔をして窓から離れた。
 去りがてら、彼はもう一度振り向いた。
「ライナー。私もまた組織の手駒であり、おまえに対して何もしてやることができない。だが、いつでもおまえの幸福を祈っている」
 二人きりになると、沈黙が部屋を支配した。
 毒気を抜かれたように放心していたライナーは、ずいぶんたってからミハイルに視線を戻し、気まずげに笑ってみせた。
「彼の言ったことは気にしないでくれ」
「気にするなんて……いいお父さんじゃないか」
 ライナーははにかむように視線を落とし、ふたたび目を上げて言った。
「本当は、あんたに会えてうれしいよ、ミハイル」
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