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人形沼にどっぷり

人形が可愛すぎて苦しい。

最初は、うずらの卵ぐらいの大きさの頭の人形で満足していた。
でも、手で撫でるには頭が小さすぎるんだ。
グレープフルーツぐらいの大きさの頭だと、手の平に猫の頭を撫でたようなふわふわ感を感じる。

ということで、少し大き目の人形を改造しはじめた。
改造といっても、たいしたことはなくて、メラニンスポンジでメイクを落としてアクリル絵の具やパステルで自分好みに着色して、人形用のまつ毛をひっこぬいて人間用を入れて、目玉を取って自分で作ったレジンのキラキラしたものを入れるだけ。
失敗してもやり直せるんだ。

少し改造すると、自分好みに可愛くなった顔で人形がじっと私を見る。
あああああ、可愛い。
でも鼻の下がちょっと長い。

もっと変えたい。
顔を削って口元を変えてみたい。
失敗すると取り返しが付かないのだ。
穴が開いてしまうかも。

少しずつダイヤモンドやすりでごりごり削ってみた。
その後、メラニンスポンジで磨く。
器用貧乏なので、なんとかできた。
好みの唇で笑う私の人形。
あああああ、可愛い。

調子に乗って、今4体目の顔を削っている。
削りすぎて手が痛い。

人形の顔を必死で削っている私を見て、同居人が何も聞かないのはちょっと嫌だ。
そういえば、昔、砥石で石を削っていた時もスルーされたなぁ。

プロはすごい

石井竜也、炎上した『お母さんの歌』を一蹴 By - grape編集部  作成:2018-02-10  

>*これ結局、簡単な話なんですよ。

>*僕も歌詞を作るので、いつも気にしながら作るとこがどこかっていうと、母親っていう存在と、女性っていう存在は違うんですよ。

>*だから女を歌うんだったら、ことごとく女を歌ってあげればいい。

>*母親を歌うんだったら、ことごとく母親を大事に歌ってあげればいいと思うんですよ。

>*で、その中間にいるから、これだけ責められるんですよ。それをね、一緒にしちゃだめなんですよ。

>*だから、プロの歌詞じゃないです、これは。(5時に夢中より引用)

>多くの批判が上がっていたものの、歌詞に対する『モヤモヤ』の正体は多くの人が分かっていなかった様子。

>ですが、石井さんが作詞家の立場から意見を発したことで、モヤモヤの理由が腑に落ちた気がします。

ああ、プロの歌詞じゃなかったから、炎上したのか。

それをすっきり説明できるのは、プロなのだ。

大相撲舞鶴場所で、多々見良三市長があいさつ中に倒れ、複数の女性が土俵上で心臓マッサージをしていた時、女性は土俵から降りるようにとの場内アナウンスが何度もあった。

映像を見たけれど、女性達はアナウンスで降りようとしかけたが、降りなかった。
なので、医療のプロではないかと私は思った。
降りろと言われても、命を救うために残ったのだと。
心臓マッサージはとても力を使うので交代が必要だろう。

看護師さんだったようだ。
あたりまえのことだからと、表彰も断ったらしい。
やはりプロはすごい。

嫌いは嫌い

好きの反対は無関心。
だから「嫌いは好きの裏返し」ということもある。
でも私は単純なので、「嫌いは嫌い」だ。

「部屋に出たゴキブリには無関心でいられないが、ゴキブリのことを好きではない。嫌いは嫌い」と言う人がいて、尊敬した。
なんとわかりやすいたとえなのだ。

私はゴキブリが嫌いだ。
クモが苦手だが、「仕事でタランチュラの飼育とゴキブリの飼育かどちらか選べ」と言われたら、タランチュラを選ぶ。
ムカデかゴキブリかと聞かれたら、ムカデを選ぶ。

ゴキブリを嫌いな人は多い。
なぜだろう。

>【遥か昔のゴキブリは1mぐらいの大きさで人間を追いかけて攻撃していた。その体験がヒトのDNA記憶に刻み込まれている為に、人間はゴキブリに対して恐怖を抱くようになった】

と言っている人がいた。

アプソロブラッティナというのが、50センチぐらいらしい。
大きめのがいたとしても、ヤリなどの武器を持っていれば人間は勝てると思う。
負けないぞー!

嫌いは嫌い。
無関心でいようと思うのだが、家の外にいるゴキブリなら放置しても、家の中に入ってきたゴキブリはどんな大きさでも退治するぞ。

アウトとセーフ

時事通信 2018/2/23 21:08

>小学館の「月刊コロコロコミック」(2018年3月号)に掲載された漫画にモンゴルの英雄チンギス・ハンに関する不適切な表現が使われたとして、在京モンゴル大使館が23日、外務省に抗議した。小学館は同大使館に文書で謝罪、再発防止を約束した。

>同漫画をめぐっては、大相撲の元横綱朝青龍がチンギス・ハンを侮辱されたとして「あり得ない」とツイートするなど、物議を醸している。

>小学館広報室は取材に「不適切な表現を行ったことにより、モンゴル国国民ならびにチンギス・ハンを敬愛する全ての方々にご不快の念を抱かせましたことを深くおわび申し上げます」とコメントした。 (了)

検索して、漫画の画像を見た。
肖像画の額に男性器を書いていた。
外国の英雄ということは関係なく、人の顔に男性器を描くということは人間としてどうかと思う。
漫画の作者や編集が、車内放送などで「運賃」という言葉を聞いたら「うんち、うんち」と喜ぶ幼児と同じレベルなのだなと思う。

私はとってもリズムが楽しいジンギスカンという歌が好きだ。
だから、チンギスハンよりもジンギスカンという名前に親しみを感じる。
「仁義好かん」と昔の漫画のネタにされていたことを覚えているのだが、それはセーフじゃないかと私は思う。

事実と小説

先日、友人が「北九州連続監禁殺害事件って知ってる?」と私に聞いた。
それに関する文庫本を読んだらしい。
私はてっきり豊田正義さんの「消された一家」だと思った。
事件で殺された小さな女の子の最後の様子がかわいそうで忘れられない。

私はその本を「自分の家族の中に殺人鬼松永に入り込まれたら、逃げられるだろうか」と考えるために手に取った。

私は逃げられると思う。
もともと口先だけの人間は嫌いだ。
長女体質なので、自分の弱い部分に対して優しい言葉をかけられたらゾッとして思いっきり反発するだろう。
プライドも低いほうだ。
弱い部分を探せるものなら探してみろ。
でも、家族の一人が洗脳されてしまった場合、どうしたらいいのかな。
家族全滅でも一人を捨ててはいけないのか。
一人見捨てても複数の家族を助けるべきか。
……悩む長女体質の私。

友人は「被害者も世間体を気にしすぎるから、逃げられなかったんだよ」言った。
おや?そんな被害者いたかな?
よく聞いてみると、事件をモデルにした小説を買ったらしい。
小説を読んで事件の被害者のことを語るのはいかがであろうか。

すぐ、その小説を買って読んだが「消された一家」よりも非常に劣っていると思った。

事件をモデルにしているのに誰が悪いのかわからないような結末にしていて不愉快だった。
悪いのは殺人鬼松永だけである。
しかし本の紹介で「圧倒的な描写力で描く事件は小説でしか説明する術をもたない」と、帯に「小説でしか描けない"現実"がここにある」と書いてあった。
実際に起きたことをほとんどストーリーにしているのに小説として少し変えてありそれを真実と誤解させるような売り方はひどい。
被害者は巻き込まれただけなのに、小説でもいろいろ誤解されるとは気の毒すぎる。

その小説家は嫌いではなかったが、大嫌いになった。
同居人が買って私に譲った本が数冊あって読もうと思っていたが、腹が立ちすぎて捨てた。
もう二度と買わない。
買わせない。

その小説を読んだ人は「消された一家」も読んでほしいと思う。

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